開通合名会社の瓦礫遺構
この遺構は、明治時代に建てられたと推定される開通合名会社の社屋の一部であると考えられています。
関東大地震で大部分が倒壊しましたが、その一部が震災後の復興建築の内部に奇跡的に残されていました。
平成26年、建物の解体時に発掘されたこの遺構は、所有者の意向により、貴重な歴史的遺産として現地に保存されることになりました。
旧横浜居留地48番館
横浜最古の洋風建築物で創建から大正15年までモリソン商会の建築物として用いられていました。
関東大震災で、当初の2階建てが平屋となり、平面規模も6割に縮小されています。
山下居留地遺跡
横浜山下町地区市街地再開発事業における発掘調査により横浜外国人居留地に関する遺跡が発見されました。
横浜は、いわゆる安政の五カ国条約により、1859年に開港しました。
それに伴って国内最大規模の外国人居留地が山下地区に建設されました。
旧横浜税関事務所
これは大正3年5月に建設された税関事務所遺構です。レンガ造りストレートぶき、3階建のゴシック様式の建物でしたが、関東大震災により床や屋根が消失したため、復旧されないまま埋め戻されて荷捌き用地となっていました。
赤れんがパーク整備のための工事の際に発見され、現在花壇として利用されています。
二代目横浜駅基礎等遺構
二代目横浜駅は大正4年8月15日に開業され、大正12年9月関東大震災のため焼失しました。
わずか8年という短命で、半ば「幻の駅」といわれています。この遺構は駅舎の基礎部分にあたります。
旧フランス領事館
関東大地震によって領事館邸は倒壊したため、マックス・ヒンデルの設計で昭和5年に新しい領事館が建てられました。1階部分はコンクリート造、2・3階部分は木造の3階建ての建物でした。
元町百段公園
横浜の開港時から大正期にかけて、浅間山の見晴台と呼ばれ、たいへん眺望のよいところでした。
元町二丁目から急な石段が百一段あったのですが、市民は「百段」と呼んで親しんだものです。
山手80番館遺跡
この赤レンガの構造物は関東大震災前の異人館遺跡で、震災当時はマクガワン夫妻の住居となっていたところです。
この一帯は、かつての外国人居留地の中心地で、多くの外国人住宅のほか、学校・病院・劇場・教会などの西洋建築がたちならんで「異人館のまち」をつくっていましたが、今日なおその面影をそちこちに残しています。