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関東大震災展
文章2
関東大震災当時と現在の写真比較
伊勢佐木町通り
震災当時
現在
(写真左 NHKアーカイブスより)
右端に見えるのが伊勢佐木町入口付近の吉田橋と考察できます。
建築物の周りには瓦礫が多く残っていますが、通りは瓦礫もなく、人の往来や自転車に乗っている人も確認できます。
(写真右 安全協会職員撮影)
関東大震災後は早々に復興が進みましたが、太平洋戦争の影響で再度被災し、戦後の復興が進んだのは昭和30年代以降でした。
赤レンガ倉庫と大桟橋
震災当時
現在
(写真左 NHKアーカイブスより)
写真手前の建物は倒壊し、建物付近に瓦礫が積まれています。
写真奥側の赤レンガ倉庫も大きな被害を受け、1号館は半壊となりました。
被災後は大規模な工事を経て、昭和5年(1930)年に復旧しています。
大桟橋も大きな被害を受けましたが、大正14年(1925年)に復旧工事を完了しました。
復旧後は外国の大型船も数多く入港し、文化交流が進みました。
横浜市開港記念会館
震災当時
現在
横浜港の開港50周年記念事業として計画が進み、大正6年(1917年)に竣工しました。
現在では国の重要記念物に指定されています。
(写真左 NHKアーカイブスより)
関東大震災では内部は全焼し、屋根も焼失しました。
その後、昭和2年(1927年)に復旧工事が完了しています。
地上高約36mの時計塔は「ジャックの塔」の愛称で親しまれています。
横浜正金銀行
震災当時
現在
横浜正金銀行は東京銀行(三菱UFJ銀行)の前身です。
(写真左 NHKアーカイブスより)
震災では大きな被害を受け、内装とドームが焼失しました。建物の周りには、多くの瓦礫が残っています。
震災後は復旧工事をして、銀行業務を再開しました。
(写真右 安全協会職員撮影)
昭和42年(1967年)には、神奈川県立博物館とするためドーム部分を復元しました。
平成7年(1995年)には、リニューアルし、神奈川県立歴史博物館となっています。
城ヶ島灯台
震災当時
現在
城ヶ島灯台はフランス人技師の設計による日本で5番目の洋式灯台です。
城ヶ島の西側、標高約30メートルの崖上に建設されています。
(写真左 気象庁「関東大震災から100年」特設サイトより)
関東大震災では灯塔、附属舎共に倒壊しました。
(写真右)
倒壊前はレンガ造でしたが、大正15年(1926年)にコンクリート造で再建されました。
鶴岡八幡宮 舞殿(鎌倉市)
震災当時
現在
舞殿は本宮がある階段の下にあります。
静御前が義経を慕い、舞いを披露した場所とされています。
(写真左 NHKアーカイブスより)
関東大震災では屋根を残し倒壊しました。
(写真右 安全協会職員撮影)
昭和7年(1932年)に再建されました。
舞殿には壁がないのも特徴です。
開放的な空間で多くの祭りや行事、神前結婚式が執り行われています。
建長寺 法堂と仏殿(鎌倉市)
震災当時
現在
建長寺は鎌倉市山ノ内に位置する禅宗の寺院です。
(写真左 気象庁「関東大震災から100年」特設サイトより)
奥に見えるのが法堂です。写真手前の仏殿が倒壊しました。
(写真右 安全協会職員撮影)
右側の現在の仏殿は創建当初より四代目のものと言われ、東京・芝・増上寺にあった徳川二代目将軍秀忠公夫人の霊屋を建長寺が譲り受けたものです。
円覚寺(鎌倉市)
震災当時
現在
円覚寺は鎌倉市山ノ内に位置する寺院です。
(写真左 気象庁「関東大震災から100年」特設サイトより)
奥右側に見えるのが倒壊した仏殿で、手前の白い土砂のようなものは、選仏場の藁ぶき屋根だと考察できます。
(写真右 安全協会職員撮影)
右側が仏殿で、左側が藁ぶき屋根の選仏場です。
仏殿は昭和39年(1964年)に再建されました。
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